home>>情報プラザ>>ノリコ・クリスティーナ・マクリドゥのギリシャ通信

 ノリコ・マクリドゥのギリシャ通信



ΧΡΟΝΙΑ ΠΟΛΛΑ!!・ホロニア・ポラー(おめでとう!の意)
・夏休みの終わり
・ 田舎での買物事情
 婚姻手続き in ギリシャ
 
ギリシャの復活祭(パスハ)
ギリシャでの結婚式<前編>
ギリシャでの結婚式<後編>
聖灰月曜日から始まるパスハ(復活祭)までの《ものいみ
私の洗礼 in ギリシャ
はじめに



ΧΡΟΝΙΑ ΠΟΛΛΑ!! (ホロニア・ポラー)「おめでとう!!」の意
ギリシャでは12月25日のクリスマス以降、いたるところでこの<ΧΡΟΝΙΑ ΠΟΛΛΑ!!>の挨拶が交わされます。これはクリスマス以降も続く新年を含む祝祭日が終わったあとまでも続きます。
さて2011年の年が明け、日本では仕事も学校もはじまっていますよね。ここギリシャも同じです。
今回は少し月日を遡って昨年12月から年明け以降のギリシャの模様をお伝えします。ギリシャの祝祭日は国教である正教が定める祝祭日から起因しているものが多いです。
※正教で定める祝祭日(例、クリスマスや復活祭等)がギリシャの祝祭日となる日もあれば、お祝いするという意味だけでお休みとならない日もあります。
その中でもこの12月から年明け1月初めは祝祭日の目白押しでした。
まずは12月25日のキリスト様生誕の日。この日は日中、家族・親戚同士で食事をし、夜は友人・恋人同士等で外出する人が多いようです。
なんといっても11月中旬から40日間続いたものいみ(食事制限)があける日でもあるので、各家庭で豪華な食事を作ってお祝いします。
年が改まり1月1日。この日は新年のお祝いだけではありません。大聖人バシリオスの日でもあるのです。世間一般に知られているサンタクロースの存在、ここギリシャではサンタクロースではありません。サンタクロースはここギリシャでは大聖人バシリオスと呼ばれています。そしてクリスマスプレゼントを贈ったり開けたりするのは1月1日です。ただ西欧のサンタクロースの文化も今は受け入れられているようで、クリスマス飾りには赤白の服をきた世間一般に知られているあのサンタクロースを飾っているお宅も多く見られます。
その次は1月6日のキリスト様がヨルダン川で洗礼を受けた日。この日の前日5日と当日6日には教会で聖水が司祭の手で作られ、教会にやってきた信者の皆さんは水筒やペットボトルを持参する方も多く、この聖水を自宅に持って帰ります。
都心部等は分かりませんが、私たちの村や周辺の地域ではそれぞれ司祭がバジル、作った聖水、十字架を持って村(管轄地域)のすべての家を回り祈祷をしてくれます。
6日は海や湖、川のある場所では主教や司祭が現地に赴き、水面に十字架を投げ入れ、その十字架めがけて男性陣が冷たい水に飛び込み、この十字架を拾った方が福男となるお祭りも行われます。
このお祭りはギリシャ各地で行われます。ちなみにこの日は聖人セオファニスの日でもあり、セオファニス(ファニス)、ファニー、フォティス、フォティニー(ファニス以降3つの名前は省略名)等の名前をもつ方たちはネームデーです。
上記のお祭りもそうですが、この日は彼らのネームデーを祝って、お祝いの電話をかける人、お宅にお祝いに駆けつける人たちも大勢です。

義母の話ではギリシャでは12月に入ったらクリスマス飾りを点灯し始め、そしてこの1月6日をもってクリスマス飾りは片付けられます。
実はまだこれでは終わりません。休日ではありませんが、1月7日はキリスト様を洗礼した聖人イヨアニスの日です。ギリシャではヤニス(イヨアニス)、イヨアンナという名前を持つ方が大勢います。
ものの例えに道でヨルゴス(ギリシャ人に一番多い名前)かヤニスの名前を呼べば、何十人もの人たちが振り返るというほどです。この日は多くのヤニス、イヨアンナの名前を持つ人たちにお祝いの電話をかけたり、お宅にお祝いに伺います。
お休みムードもこれでおおむね終わり、今年は8日、9日と土日だったこともあり、1月10日からは通常モードです。
このあとは1月15日から始まるギリシャ全土の一斉バーゲンセールが待っています。一部の商店では不景気であることから前倒しで始めていますけれど、年に2回のこの時期を楽しみにしている方が大勢いるので、これで冷え込んだ商店街地域に活気が戻ってくれることを願っています。

ギリシャは今年も公共機関のストが断続的に続いています。去年のは政府が発表する緊縮政策に反対するデモやストライキが年初めから年末まで続きました。
今年も早々に食品にかける消費税の税率があがり、公共乗り物の料金も上がるという報道等、今後も緊縮政策が続くような報道が連日続いています。
文末になりましたが今年もどうぞよろしくお願いしたします。

夏休みの終わり
ギリシャでは一般的に8月15日で夏(バケーション)は終わりと考えられているようで、例年ではこの日を境に気温もだんだん落ち着いてくるそうなんですが、今年は8月いっぱい気温が40度を超える様な日が続きました。
8月15日が今年は日曜日だったことから、翌日からバケーション明けで職場に復帰する大人たち。子供も9月13日あたりから学校が始まった様です。そしてこの夏休み、一般人だけでなくテレビにも反映されています。7月はじめから連続ドラマは次々に夏休みに入り、ニュース番組や情報番組も8月前にはその殆どが夏休みに入りました。その間はドラマや情報番組の再放送、夏季限定のニュース番組などが始まりました。日本ではニュース番組はキャスターが交代で夏休みを取り、番組も1クールが終われば終了するシステムとはだいぶかけ離れているように思います。
さて、この記事を書いているのは9月17日なのですが、いよいよギリシャで視聴率毎話50%を超えるドラマと毎話40%を超えるドラマが19日、20日とそれぞれが続けて夏休みを終えて新シリーズとして放送が始まります。
ひとつは、Η ΖΩΗ ΤΗΣ ΑΛΛΗΣ http://www.megatv.com/izoitisallis/
 今年で2年目で、既に200話を超えています。
もうひとつは、ΤΑ ΜΥΣΤΙΚΑ ΤΗΣ ΕΔΕΜ
http://www.megatv.com/tamystikatisedem/default.asp
今年で3年目に入り、400話突入です。
この二つのドラマ、以前は午後6時過ぎと午後7時からと二つが連続して放送されていたのですが、今は午後7時とニュース番組を一旦はさんで、午後9時過ぎに放送されています。特にこのドラマが村の男女を問わず、話題の的になっています。女性陣がお茶をする場面ではこのドラマの話題はよくあがります。今はまだ新シリーズが始まる直前ということもあって、テレビでは番組宣伝CMが頻繁に流されているのと、どうやら主要キャラクターの俳優が変わった事でなおのこと話題の的になっています。初めて会う人には必ずといっていい程、「ギリシャ語は勉強しているの?、しゃべれるの?」と聞かれます。私は「学校に行っていないので、ギリシャ語は家族との会話とテレビを見て勉強しています。ドラマも見てます。」と回答しているのですが、すると相手側からは殆どのパターンで上記の2つのドラマの名前が返ってきます。ドイツに住んでいる主人の従姉妹や家族の知り合いもドイツでも見ているほどです。ただのドラマなんですが、ドラマを見ているというだけで周りにいる人たちが僕も見てる、私はΜΥΣΤΙΚΑ、私はΖΩΗ ΤΗΣ・・・、と次々に反応が返ってきます。さすが高視聴率番組です。

ちなみに両ドラマ、毎週土日を除く毎日放送しています。平日が祝日だろうと放送されています。そう考えると、夏休みが2ヶ月以上あってもしかたないと思えてきてしまいます。私はギリシャ語を勉強するというか主人のおばあちゃんが見ていたのでその隣に座っていたのがきっかけで見始めました。ずっと見ているとやっぱりいろいろな言葉を覚えるようになりました。
今もって話を完全に理解できませんが、家族と会話する中では使われない言葉をたくさん知ることができます。
ギリシャ語を勉強している方や興味のある方もぜひ一度ギリシャのメロドラマ、ご覧になってみてください。

-終-

田舎での買物事情

アテネやテサロニキといった都心部や、都心部から近い場所に住んでいる方は物価が高いということは問題だとしても、買物場所に頭を悩ませることはそうないのではないかと思います。しかしこれが村で生活している場合はどうなるか? 私の例を挙げてお話ししましょう。

<衣>
衣服関係は本当に悩みます。まず村に衣料品店がありません。必要とあれば2つ先の村に行かなくてはならず、私が数えたところ服を売っているお店は4軒。東京でよく見かけたブランド店、アパレルメーカーの服などはあるはずもなく、1年前、そのうちの1店に初めて入ったとき、私はここで洋服を買わないといけないのか・・・・と無言になりました。

服に限らず靴・かばんのお店は知る限り1店。お年寄りや、あまりこだわらない方たちは村で十分なのでしょうが、若い人たちやっぱりブランド志向が強いのかテサロニキやセレス、といった都会や大きな街にまで出かけて行き、買い物をしているようです。
(←この写真は都会、テサロニキ市内のお店のショーウィンドウです)
<食>
野菜は、夏は家庭菜園でトマトやキュウリ・ナスなどを作り、菜園で取れない野菜や果物は、基本、移動販売の車で買っています。お魚は週1回、移動販売車がやってきます。湖が近いので、湖で朝釣ってきた魚をその日に売りに来る人もいます。お肉はこの辺りでは家畜を飼っている方も多く、牧場もありとても新鮮。卵は産みたての卵をご近所さんから売ってもらいます。もちろんスーパーマーケットという名の、実際は小売店舗の商店で買物することもあります。新鮮で都心で購入するよりも安価に食材を手に入れられるのは田舎ならではだと思います。
<住>
住に関してはインテリアということでお話ししましょう。こちらの家庭はインテリアにとっても関心が高く、きれい好き。お家の中はいつ誰が遊びに来てもいいように、ほとんどのお宅は常にきれいにされていると思います。(時々例外のお家もあります。)
私たちの村にはインテリア雑貨のお店もありません。先に述べたスーパーマーケットに何かしら取扱いがあるので、急なプレゼントはそこでまかなう人が多いようで、頂戴したプレゼントがバッティングということが前にありました。2つ先の村を例にとると、インテリア雑貨を扱うお店は私が思うに衣料品店の数よりも多いです。そしてお店を覗き込む人をよく見かけます。特にクリスマスやパスハ(復活祭)の頃にはお家のインテリアに張り切るお母さん方が多いようです。


そしてこの<衣食住>全てを一気に見て回れるのがバザールです。私たちの村にはやって来ませんが、2つ先の村に毎週水曜日にやって来ます。その日は車のない人はバスで行き、また、村に3台しかないタクシーは大きな祝日前やお年寄の脚代わりにフル稼働。

但し、その日に教会で大きな祈祷が朝からあると、お年寄りはバザールよりも教会に行ってしまうので、タクシーは暇だと嘆いています。


私たちの住んでいる村の地域でのバザールは毎日(土・日除く)、どこかの村(街)で開催されています。バザールでは安価で食材を買えます。

余談ですがパスハの時期は赤たまねぎの乾燥した皮をお店のワゴンから集めるおばあちゃんをいたるところで見かけます。この皮を使って卵を茹でて染め、パスハの赤い卵を作るためです。

衣服についても、えり好みしなければ何でも見つかると思います。インテリアも季節に応じていろいろ品揃えが変わり、おもしろいです。カーテンなどは露天でオーダー注文も出来ると聞きました。

大型スーパーも、車で30~1時間くらい行ったところにあるのですが、おもしろいもので、ギリシャ系、ドイツ系、フランス系と、それぞれの大型スーパーがいくつかあります。義両親は物が安いとドイツ系を選びます。叔父はとにかくギリシャ系スーパーが一番。フランス系はちょっと遠くてなかなか行けないのですが、私は好きです。
田舎での生活には車がないと、買い物も一苦労です。 
(終)


婚姻手続き in ギリシャ

国際結婚をした方々で現地の婚姻手続きに手を焼いた方は多いのではないでしょうか。
私もその一人で、このお役所手続きに加え、以前にもお話ししたとおり、彼が兵役中だったため、手続きは義父と一緒に2人で役所に何度も行きました。その上、この手続きに関して彼、彼の家族がギリシャの役所から聞いた話と、私の確認した手続きの仕方が異なっていたことで更に複雑化してしまいました。

私がギリシャに来る前に居住していた日本国内の役所に手続きについて確認した時、既にギリシャで挙式をすることは決めていましたが、その上で手続きの仕方は2つあると聞きました。まず現地の方式で婚姻手続きをし、その上で現地領事館(大使館)にて日本への手続きをするか、もしくは日本の役所で手続きするかのどちらかでした。
どちらの国で手続きするにしてもギリシャで発行された書類を日本語に翻訳する、もしくは日本で発行された書類をギリシャ語に翻訳する作業が必要です。それに加え、手続きする現地の役所によって必要とされる書類が異なるので、心配で大使館に問い合わせしても、ネットで調べてもやはり答えは手続きする役所に確認するのが一番いいですよ、とのことでした。
しかし、この現地の役所というのが心配事の1つで、というのも問い合わせした際に応対する職員によってまた意見が異なる場合があるからです。私の場合、日本の在ギリシャ大使館に聞いてくださいという答えでした。そして、日本の在ギリシャ大使館からのアドバイスは、やはり現地の役場に確認するのが一番いいですよという回答だったからです。このことを彼に話しても彼も分からない、役場の答えも変わらない、もう八方塞の状態でした。
最低必要だと思われるものをそれでも揃え、外務省でアポスティーユを発行してもらい、ギリシャ語の翻訳(ギリシャプラザさんへ依頼)も揃えて現地へ移住しました。
ここからが、もうイライラとハラハラの連続です。私は、日本の役所で発行された書類には大抵3ヶ月有効と書いてありますが、この3ヶ月がどうしても気になり、これはここギリシャにおいても有効期限は変わらないと考えていました。故に、書類の有効期限のうちに手続きをすべて完了させたいと考えていましたが、実際には婚姻手続は結婚式から10日も経ってから行い、日本から持ってきた書類も受理はされました。
しかし、なぜ婚姻手続に挙式から10日も経っていたかというと、まず私たちが婚姻手続のため役場に赴いたのは挙式から5日ほど経ってからです。挙式当日に教会で婚姻書類にサインをしたのですが、その書類に司祭が更に書き込む箇所があったので、この日は書類を受け取らず、翌日に受け取る話になっていました。ところが、翌日の月曜日、私たちと司祭のタイミングが合わず、書類を受け取れませんでした。ならば翌日に!と言いたいのですが、私は火曜日から、日本から来てくれた知人たちとアテネ観光に行くことになっていたため、彼に必ず書類を受け取ってほしいと頼み、田舎を離れました。けれど、彼は書類を受け取れず、且つ有給休暇が終わり、火曜日の夜から兵舎へ戻ってしまいました。
最低必要だと思われるものをそれでも揃え、外務省でアポスティーユを発行してもらい、ギリシャ語の翻訳(ギリシャプラザさんへ依頼)も揃えて現地へ移住しました。ここからがもうイライラとハラハラの連続です。私は日本の役所で発行された書類には大抵3ヶ月有効と書いてありますが、この3ヶ月がどうしても気になり、これはここギリシャにおいても有効期限は変わらないと考えていました。故に、書類の有効期限のうちに手続きをすべて完了させたいと考えていましたが、実際には婚姻手続きは結婚式から10日も経ってから行い、日本から持ってきた書類も受理はされました。
しかしなぜ婚姻手続きに挙式から10日も経っていたかといいますと、まず私たちが婚姻手続きのため役場に赴いたのは挙式から5日ほど経ってからです。挙式当日に教会で婚姻書類にサインをしたのですが、その書類に司祭が更に書き込む箇所があったので、この日は書類を受け取らず、翌日に受け取る話でした。しかし翌日の月曜日、私たちと司祭のタイミングが合わず書類を受け取れませんでした。ならば翌日に!と言いたいのですが、私は火曜日から私は日本から来てくれた知人達とアテネ観光に行く事になっていたため、彼に必ず書類を受け取ってくれと頼み田舎を離れました。けれど彼は書類を受け取れず、且つ有給が終わり、火曜日の夜から兵舎へ戻ってしまいました。
結局、私がアテネから戻ってきたのは挙式から4日経った木曜日の夕方。彼にすぐ確認するも書類は受け取っていないとのことで、兵舎にいる彼に電話で文句を言っても始まらず、結局挙式から5日経った金曜日に義父と私の2人で司祭の元を訪ね、書類を受け取りました。その後すぐに役場に向かい、私が持参した書類と司祭の発行した書類を出したところ、担当官があっさりと役場の婚姻台帳のような台帳に記入し始めました。
しかし、すぐに担当者が書類に不備を発見。最初は私の持参した書類に私の父親と母親の名前がギリシャ語で表記されていないという指摘から始まりました。そして翻訳をやり直してくださいと言われ、私は呆然。義父から翻訳をし直せるか?と聞かれましたが、私はこの書類はギリシャ語に翻訳しただけではなく、この翻訳が正当なものであるという証明を日本の在ギリシャ大使館で証明しているものであるから、もしやり直すのであれば、翻訳後に在ギリシャ大使館の証明も必要になるのですぐには出来ないと答えました。義父も私のつたないギリシャ語を必死に理解して、役場の担当官に掛け合ってくれ、義父の粘り勝ちでこの問題は大目に見てもらえました。
けれど、司祭が私の両親の名前をローマ字で表記していた事を指摘され、ここをギリシャ語に直すようにと言われこの日は手続きできませんでした。この日、役所帰りに司祭のもとに赴き、書類を訂正していただきました。そして週明けの月曜日に再び役場へ赴き訂正していただいた書類を提出したところ、訂正箇所はOKと言われました。

しかし、また別の問題点を指摘されました。今度は司祭の発行した書類が役場では有効でないとのことで、役場の書類に書き直すこと、私の洗礼証明が役場に出されていないので洗礼証明書を提出し、日本でいう収入印紙のようなものを購入すること等、もう宿題のような状態です。この日も手続きできず、また司祭のもとへ。司祭は教会が発行した書類が役場で受理されない事に憤りを感じているようでしたが、書類を役場の書式で作り直してくださいました。また翌日役場に行くと、今度は別の問題点を指摘され、その後司祭のもとへ行くという日が更に数日続きました。
そして、最初に役場に赴いてから1週間経過した、翌週の金曜日の午前中、義父と訂正をした書類を持って役場に行くと担当官からこの内容では受理できないと言われ、またその内容を伝えに司祭のもとへ。しかし、司祭は今回は黙ってませんでした。なんと、役場まで私たちと一緒に説明に来てくれました。役場に向かう途中では担当者の名前をきっちり確認し、これまで担当者が訂正を必要だと指摘した箇所すべてに意見したいように見えました。
一度ギリシャに来られた方やギリシャに詳しい方はご存知かと思いますが、国教であるギリシャ正教の司祭はやはり住民から一目置かれる存在であり、基本、常に司祭服(全身真っ黒)を着用している司祭を一般住民と見間違えることはないと思います。役場に赴いた司祭の姿に担当官の上官も、司祭が現れるとは思っていなかった様でちょっとびっくりしてました。しかし担当官が子供のお迎えに席を離れていたので、私たちは最初立って待っていました。それを見ると司祭に席を差し出す職員達。1時間近く担当官の帰りを待ったところで、担当官の上司が台帳を手に現れた。やはりこれ以上(司祭を)待たせるわけには行かないといった感じです。司祭は訂正が必要とされた箇所はその必要がないことを説明し、上司が納得したところで帰っていきました。
しかし、担当者は結局2時間以上帰って来ず、上司からいろいろ説明を受けてすべての書類を受理してくれました。婚姻台帳と洗礼台帳に記入が終わる頃には担当官も義父も談笑するくらいの余裕っぷりでした。
役場を去るときは、これで毎日の役場通いが終わると思って感無量でした。と思ったら、その数日後に義父の戸籍のある別の役場からある書類を取り寄せたところ、私の姓と名が逆に登録されていたことに気がつき、結局また役場に赴くことに。この訂正のためにギリシャで登録した婚姻に関する情報を訂正する必要が出てしまいましたが、訂正も無事終了。
ギリシャ語はまだ分からない事だらけですが、自分に関する記述のある書類はよく見た方がいいとこのとき痛感しました。ちなみにこの間違いを発見したのは私です。ギリシャ語の分からない私がどうやって間違いを発見したのかといいますと、義母の名前が名・姓・旧姓の順で書かれていたのを見て、何気に自分のを見たら自分のは姓・名の順だったのです。そして、その横の何に関する情報なのかの項目を見たところ、同じ項目の欄に姓と名が逆に書かれている事に気がつきました。
この記事を読まれている方で、ギリシャの役場で何かしらの手続きをしなければいけない方へのアドバイスは、何事もシガシガ(焦らずゆっくり)でしか物事が進みませんので、焦らないでくださいということでしょうか。
私もこのシガシガという言葉を何度も義父母から言われました。


ギリシャの復活祭(パスハ)

時間がかなり経ってしまいましたが私がギリシャで初めて経験したパスハ(復活祭)の模様をお伝えします。
パスハは毎年日程が移動する移動祝日で、今年はカソリックと同じ4月4日がパスハ(復活祭)の日でした。
私がパスハ自体を初めて体験したのは一年前、場所はドイツでした。当事、夫がドイツで住んでいた街は大都市ではなかったせいか正教会自体の教会がなく、通常の教会行事(祈祷)もプロテスタントの教会を借りて行っています。そして司祭はいくつかの街を掛け持ちしていたため、各街の教会で行われたパスハ祈祷は1時間程度。パスハはとっても素晴らしい!と聞かされていた割にあっけないもんだなというのが初めてのパスハの正直な感想でした。

そして今年はギリシャで迎えるパスハです。ギリシャは各村や街に教会が必ず1つはあります(私達の村には教会と呼ばれる建物は4つあるそうです)。 大都市になればその数はもっと多く、殆どの教会に司祭1人、もしくは2人(ときにはもっと)いらっしゃいます。 そして教会の数に比例して司祭の数は少ない様で、司祭のいない教会もあると聞いています。さて、今年もパスハ前、義母がギリシャのパスハはとっても素敵よ!と何度も口にしていました。

今年は4月4日だったからなのか、冬が終わり、パスハが近づくにつれて日中に庭の手入れや家を冬仕様から模様替え、そしてパスハ関連の小物をディスプレイするお宅を沢山見かけました。
このパスハ仕様に飾られた家々はとてもかわいいです。
クリスマスも各家庭が相当力を入れていたと思いますが、パスハも同様でした。
そして以前書いた記事の通り、パスハの前の40日間は断食期間になります。
お肉や血の出る物(イカやタコ、エビはOK)、乳製品、卵が不可です。日によっては油も不可という日もあります。パスハの1週間前の日曜日(今年は3月28日)はフリストス(キリスト)がエルサレムに入城された祭日(聖枝祭)で、この日からパスハまでのすべての日に意味があり、教会に飾られるイコン画も日によって変わっていきます。そして新約聖書に書かれている事柄に倣ったことが教会でも行われていました。

以下は私の村でパスハ前の1週間で行われた祈祷の回数とその簡単な内容です。
● 3月28日(日): この聖枝祭 朝と晩
● 3月29日(月): 晩
● 3月30日(火): 晩> この日は多くの家庭がオリーブオイルを持参してきました。そして祈祷の最後に司祭が各自の両手のひら(又は甲)に十字をオイルで書いていきます。それはフリストスが捕えられえる前に、1人の女性が香油でフリストスの足を拭いた事にならっているのだそうです。 
● 3月31日(水): 朝> 最後の晩餐 フリストスが御聖体(フリストスご自身の血(ワイン)と肉(パン))を12人の弟子に領聖した日で、この日は朝に祈祷があり、多くの子供と大人が御聖体を授かっていました。
● 4月1日(木): 朝と晩 > 教会内の聖所から十字架とその十字架に磔にされているフリストスが聖所から運びだされ、教会外を司祭達と信徒が行進します。
● 4月2日(金): この日はフリストスが処刑された日にあたります。 朝> 朝には前日に聖所から運び出されたフリストスと十字架から、フリストスだけがはずされ、聖所に再び戻されます。 十字架はそのまま教会内の信徒達の祈祷する場所に置かれます。その十字架の前には沢山のお花で飾られたエピタフィオ(フリストスの棺)が置かれます。 朝の祈祷の後、このエピタフィオの下を十字にくぐるように言われました。何度もくぐるのが良いそうです。 晩> 晩の祈祷では、十字架と上記のエピタフィオが教会外を行進します。
● 4月3日(土):朝と晩(日付変わって深夜の3時まで) 晩> 11時から教会が始まり、約1時間後の12時にはパスハを迎えます。最初の1時間程の祈祷の後、教会の電気が消され、司祭が聖火をもって現れます。その後教会内の信徒さんの手から手にとその日を各自のろうそくで分け与えていきまます。その後司祭による祈祷の後に花火が打ち上げられ、大勢集まっていた人たちが 「フロニャ ポラ!」 「フリストス アネスティ! 」  と次々に口にして挨拶を交わしていきます。その後教会に来ていた殆どの方達は教会から去り、各自でお祝いをしていたようです。しかし教会の祈祷はまだまだ続きます。 多くの方が去ったといっても、それでもなおも多くの方達が子供も含めこの日も御聖体を頂くために夜中の3時過ぎに終わった教会にいました。この深夜の教会が終わった後に待っているのは <マギリッツア>と言われるギリシャの臓物スープです。
● 4月4日(日): 朝 
● 4月5日(祝日): 朝 あっという間の1週間でしたが、パスハ当日の日曜日は朝の祈祷の後、家族や親戚同士が集まり断食明けの食事をたくさん用意し、皆でパスハをお祝いして食べます。この日は庭先などでアルニ(羊)の丸焼きをする家庭が多く、私の家のお隣さんは朝の9時前から火おこし~丸焼き開始をしていました。

私達は4月4日は義母の姉の家で食事会、4月5日は私達の家で食事会でした。皆さんにパスハの雰囲気を伝えるのにぴったりの表現としては、「ギリシャのパスハは日本のお正月といった感じ」でしょうか。ちょっと比較してみると:学校はもちろん、会社もお休みです。(日本の年末年始と同じです) テレビも祝日仕様になり、生放送番組がなくなり、ドラマの再放送や映画になります。この映画も十戒やフリストスが処刑され昇天するまでの映画などキリスト教色の濃いものが多かったです。(日本の年末時代劇や、忠臣蔵などの放送といった感じです) パスハ明けに多くの家庭で食べられるアルニ(羊)の1匹の価格動向や、視聴者プレゼントなどもやっていました(日本の年末お節事情や、上野アメ横からのお節に欠かせない食べ物のプレゼントみたいな感じです。)

皆さんもぜひパスハ時期のギリシャにいらしてください。この時期ならではの素晴らしい体験が出来ると思います。来年のパスハは4月24日で、来年もカソリックと同じ日にお祝いすることになります。

ギリシャでの結婚式 <前編>

まず、私の知る限りでのギリシャの結婚式スタイルについてお話しします。
ギリシャの結婚式はスタイルは日本の結婚式+披露宴と同じと考えていただければいいと思います。
まずギリシャの国教、ギリシャ正教会によって執り行われる結婚式、その後長い時間をかけて行われるパーティ(日本でいう披露宴の様なもの)の大きく分けて2部構成。しかしギリシャの各地域によって習慣(伝統)が異なるそうで、私が夫の知人から聞いた話では、その知人の出身地である北ギリシャのある地域では昔の伝統にならって式を執り行うと結婚式は実際に式が執り行われる7日前から始まるそうです。
今でも伝統をいくらか簡略した形で式を行うとのことで、その場合でも結婚式は数日前から始まるそうです。教会での式は正教会の教えに基づき執り行われます。式は長時間かかるものではありませんが、大きく異なる点は日本でいう披露宴の時間のかかりようだと思います。私は最初、式は夕方から始まり、パーティ(日本の披露宴と考えてください)は朝まで続くと聞かされていました。実際に参列した結婚式では、式は正午近くに始まり、パーティは私たちが参加していた時間だけでも6~7時間経っているのに、その後もパーティは続き、結局終わったのは夜中で、パーティの始まりから終わりまで約13時間かかったそうです。

さて、ここから私達の結婚式のお話です。私達の結婚式は日取り決定の日から約3週間後に行われました。今回日取りを決定する際に何を基準に考えたかと言えば、まず土曜日か日曜日。次に村の司祭の都合がつくか。そして私側の参列予定者が日本からその予定で来れるかどうかでした。私の夫は最初、別に平日でも構わないと言っていました。
しかし最初にお話したパーティスタイルが一般的なギリシャの結婚式で、式の始まる時間にもよりますが、式後のパーティの終わる時間は深夜もしくは朝方、その後参列者が出勤もしくは学校に行けるのだろうか?と疑問に感じてしまいます。
はじめは平日と言っていた彼も彼の両親と話をしていると平日の予定は全く出てこず、出てくる日付はすべて土曜か日曜。私たちは土曜日を選びましたが、その日は司祭のご都合が悪く、結局日曜日になりました。式の日取りは私達、彼の両親で決めましたが、ここから先の準備は基本私、彼の両親、そしておばあちゃんで進めました。
なぜ夫が準備段階のメンバーに入っていないのかと言うと、彼はこの時まだ兵役中だったからです。兵役中の彼は彼の両親が身元保証人になるという証明書を警察で発行してもらい、自宅から兵舎へ通えるように申請をしたのですが、申請書は一体どうなったのか、彼が自宅から毎日通えるようには一向にならず、この時兵舎でほぼ毎日寝起きしていました。
自身の結婚式の準備だからといって兵役のお務めを休めるわけではなく、そして兵役中にもらっている有給休暇は結婚式に充てる予定でいたので、日付を決めた翌日からギリシャ語の本を片手に携えた私、彼の両親、そしておばあちゃんで準備を進め、彼には事後報告。
最初に手配をしたのは何か?ウェディングケーキでした。次はウェディングドレス。そして髪型・メイクの打ち合わせ、結婚指輪、ブーケ、当日写真屋の手配。あとは小さな準備はちょこちょことありましたが、一番大きな準備はやっぱりウェディングドレスの手配でしょうか。彼との結婚の話が出始めた頃から彼のお母さんに花嫁衣装はすべて花婿の家族が、花婿衣装はすべて花嫁の家族が揃えると聞いていました。ただし私の家族はギリシャに住んでいませんので、私自身で準備することになりました。ちなみに花婿は結婚式当日までウェディングドレスを見てはいけないというのが習慣なのだそうです。
そしてウェディングドレスは最初からブルガリアでと聞かされてました。私の住んでいる田舎はブルガリアとギリシャの国境まで車で40分程度なので、ブルガリアに買い物に行くと聞かされたときも、テサロニキに行くより近いな、と思ったくらいです。
当日のブルガリア行きメンバーは、彼の両親、おばあちゃん、私、彼の親戚のおばさん、一度息子さんのお嫁さんのためにウェディングドレスをブルガリアへ買いに行ったことのある近所のおばさん、そしてギリシャでは結婚式に欠かせないクンバラ(日本の仲人さんのような方)の総勢7名。
私達の住んでいる村の近くに村と同じ名前の山があり、その山の反対側はブルガリアです。おもしろい事にこの山を境にしてギリシャとブルガリアに同じ名前の街があります。
今回私達が行ったブルガリアの街はギリシャからも買い物に行く方が多数いるとのことで、多くのお店ではギリシャ語が通じるようでした。
けれど私達が行ったウェディングドレスショップはギリシャ語が話せないブルガリア人女性店員のみ。そしてこちら側は誰一人ブルガリア語が話せないギリシャ人と日本人。ギリシャ人も訪れるのでそれなりに理解はしているようでしたが、会話はすべて身振り手振りを交え、時に筆談。これで本当に無事ウェディングドレスが買えるのか、はたから観ていると面白いやりとりでしたが、事は自分のウェディングドレスについてだったので大丈夫なのか心配でした。というのも当時、私の体型は
まだ細身だったのでドレスもサイズを直す必要があり、それに一緒についてきてくれた女性軍がいろいろアイデアを出してくれて、結果、お直しの箇所もただのサイズ直しだけじゃなく、ドレスの一部を追加、上着の袖を長袖から半袖、しかも袖口にフリンジにしてくれ等等。
こういったやり取りをすべて共通言語の無い身振り手振りと筆談でするのですから、本当にこれで無事にウェディングドレスが出来たのが今でも不思議でしかたないです。
このような準備のやり取りを通じてギリシャ語を少しずつ覚え始めたのと、彼がいなかったので単語を知らなくても調べて話すとか、自分の意見を言う(なるべく)ようになりました。彼が兵役中だった事に感謝すべきなのかもしれません。

そして式の準備は彼抜きでも順調に進み、彼の家族には本当に感謝する事ばかりです。式の前々日から彼は軍から有給をもらい、そしてこの日の深夜には日本から私側の参列者もこの田舎にやってきてくれました。前日は彼の家族、私側の参列者でお昼に食事をしました。日本から来た知人達はギリシャの食事の量に驚き、そしてファエ・ファエ(食べろ・食べろ)と言われるままに食べていて、お昼の後も続く、彼の家訪問、クンバロス(仲人)宅訪問、私達の友達の家訪問とその後も続く食事とお菓子のおもてなしに、感謝しつつも腹一杯で食べれません、ともらしてました。
すべての訪問を終え、しかしこれでこの日の予定が終わるわけではありません。これからはウェディングドレスが私と参列者が宿泊しているホテルに運び込まれる儀式が行われることになっていました。私は式当日、宿泊先のホテルから教会に行く事になっていたのでクンバロス・クンバラがウェディングドレスそして当日着用するパンプス、下着等すべてをホテルに運び込み、彼の親戚一同とクンバロス一家がその場に立ち会ってくれました。
ギリシャ全体での習慣なのか、それともこの村のある地方の習慣なのかは分かりませんが、本来であれば私と彼は式前日は会うことができません。しかし今回は日本から来てくれた私側の参列者と一緒に時間を過ごす事もあり、ウェディングドレスが運び込まれるまでは一緒にいました。ということでウェディングドレスが運び込まれたので、ここから先は明日の式の時間まで会うことは出来ません。
この後、彼は彼の兄弟、従兄弟、友達と朝6時まで同じホテルのレストランで飲み続け、私は知人達と部屋で過ごしてこの日を終えました。
【後編に続く】


ギリシャでの結婚式 <後編>

結婚式当日、私は午前10時過ぎに美容院でヘアセットとメイクを予約していました。事前に髪型とメイクの打ち合わせ済みでしたが、打ち合わせでの会話はギリシャ語片言の私と、ギリシャ語とドイツ語しか話せない美容師さん。しかもメイクの打ち合わせをした時は停電していたので、窓から差し込む日差しだけでメイクの打ち合わせをし、髪の打ち合わせは後日に行いました。当日やっぱり打ち合わせた内容とちょっと違っていたりとハプニングはありましたが、それでもつたない会話と身振り手振り、暗がりで打ち合わせしたのにとてもよく仕上げてくれてました。
メイク・髪型のセットが終わったら後はドレスに着替えて、ホテルにお祝いを言いに来てくれる方々をお迎え。日本から来てくれた知人達も私が美容院に行っている間に自分達の着替えから部屋の掃除まで準備を終えてくれていました。

そしてこの日の私側の世話をしてくれたのがクンバロス(日本の仲人さんのような存在)一家。
一家+親戚、知人まで多くの方々が私のために来客者に振舞うお菓子やリキュールなどいろいろな準備をしてくれました。新郎側はもちろん彼の準備を一家総出でしていたので、クンバロス側と事前にそういった打ち合わせをしてくださっていたようです。
ホテルの部屋は写真撮影会会場の様で、私側だけでもデジカメ6つで撮影し、来客者もそれぞれが写真撮影。知人の1人が着物を着てくれたのですが、おそらく生で着物を見たのではないかと思う位、こちらの人達は感激してました。

クンバロスが彼側が教会に到着した事を確認し、私たちも来客が一通り終わり、写真撮影もひと段落したところでホテルを出発。私はクンバロス・クンバラ、日本からの参列者と一緒に車に乗り込みました。
車はボンネットに大きなかご花が置かれ、白とピンクのリボンで飾られてました。参列者の車にもサイドミラーやアンテナに白いリボンがつけられています。故に道を歩いていれば、あの車は結婚式に向かう車だということが一目瞭然です。特に私の乗り込んでいた車は花嫁が乗っている車だと分かるかご花がボンネットに置かれていたので、道行く人達も車の中を覗き込んでは祝福のしてくれました。
そしてお花とリボン以外のもう1つ大きく目立つ事、それはクラクションです。車はホテルを出発し、ちょっと広めの公道に出たとたん、私達一連帯は車のクラクションを一斉に鳴らし始めました。私と同乗していた知人達もこれにはびっくりしていた模様です。私は正直、恥ずかしかったです。

そして公道にでて数分もせず教会に到着。教会には既に彼側の家族や親戚知人達が大勢来てくれていました。車を降りてからはもう全く分からない事だらけ。ちなみに式前日の予行練習のようなものは存在せず、当日の本番のみ。普段通訳してくれる彼も側にはいません。もう知っているギリシャ語フル稼働で言われた事を理解し、私からも一生懸命伝えました。
私は彼の待つ教会入り口まで、私の知人と一緒に歩きたいとお願いしていたので、改めてその事を伝え、知人男性2人が私の両脇、後ろにはブライドメイドの女の子2人と一緒に教会入口まで歩きました。
そして彼からブーケを受け取り、その後は司祭が彼の手を引き、彼が私の手を引き、司祭が経典を読み上げながら教会に入っていきます。
教会の中では私達の後ろにクンバロスとクンバラが立ち、周りは家族や親戚、それに依頼していたカメラマンが立っています。
司祭やクンバロス・クンバラ達のおかげで式も順調に進んでいたと思ったら、私のドレスの袖口からハエが中に侵入し、式の後半はドレスの中でハエがもぞもぞ動き回わるのが気持ち悪くでしかたなく、かといって右手は彼が握っていて、左手はブーケを持っているので蝿を追っ払う事も出来ず、早くハエ出て行かないかなとか式まだ続くのかなとかそればかり考えてました。
しばらくするとハエも去り、ようやく落ち着いたと思ったら今度は鼻水が垂れてきて、鼻をすする私に彼は失笑。
クンバラからも式後に私が鼻すすってたねと笑われ、その姿はビデオにも撮られてと、ひどいオチに。

式が無事終わると、次に待っているのは参列者からの祝福です。私達の場合は教会の中に2人で立ち、私達のところに祝福の言葉やプレゼント(もしくは現金)を渡すために参列者が列をなします。
この挨拶が終わるまでにかかる時間は参列者の数に比例するのですが、私達は30分~1時間くらいだったと思います。
最初に彼の家族、次に私側の参列者、そのあとはもう親戚なのか知人なのか村人なのかも分からない状態。(今はおおむね分かります)挨拶がまわってきたときに、私は彼のおじさんだよ(おばさんよ)彼のお父さん側の○○だよ等、その場で言われても名前もどういうご関係なのかもいっぺんに覚えられず、その人数の多さにビデオを見た時にもう一度教えてもらおうと思い直しました。

そして、いただくお金の封筒で彼のジャケットのぽっけがいっぱいになったところに、彼のおばあちゃんが登場。おばあちゃんが彼の後ろに立ち、彼のジャケットから頂いたお金等を一時預かりのために自分のハンドバックに移していきます。その姿もすべてビデオに納められていて、当日はよく分からないままに終わった結婚式もビデオ撮影を頼んだおかげでよく分かりました。
この後はいよいよパーティです。
参列者がパーティ会場(ホテルのレストラン)に移動したあと、私達は会場のセッティングが終わるまで車で付近をぐるぐる巡回。セッティング終了の電話を受けて、レストランに向かいました。レストラン入口では彼の母親が用意した巨大クラッカーを持って私達の到着を待つ参列者。しかしクラッカーが不発に終わり、最終的にはクラッカーを破り、中の紙ふぶきを手でばら撒く結果に。

中に入ると改めて参列者から拍手を頂きながらケーキカットへと続き、そしてその後に待っているのが花婿と花嫁のダンスです。この2人のダンスがないとパーティが始まらないと何度も聞かされ、その度に私の代わりに彼の母親やおばあちゃんが踊ってくれないかと懇願してきました。ダンスや歌が苦手な私。彼からは足元はドレスで見えないんだから自分のリードにあわせて歩くだけでいいから!と言われしぶしぶ踊り(歩き)ました。私達のダンスが終わると、次は両家の家族親戚一同で一緒に踊る習慣なのだそうです。

初めてのことばかりの知人たちには、家族からダンスに誘われたら、諦めて踊ってくださいと頼んでありましたが、その誘いも相手は踊りながらその踊りの輪に引き込むという形です。知人達も数人はその誘いに応じて踊りの輪に入ってくれました。
こちらの方達も知人が一緒に踊ってくれた!と喜んでました。
この最初の2曲の後はひたすら踊り、飲む・食べるの繰り返しです。私もこの最初の2曲だけしか踊らないから!と決めていたのですが、彼も私も踊りの輪に入らないのはどうなんだろうか・・・と思いなおし、「今日限り!」と腹をくくって踊りも知らないのに何度も踊りの輪に入りました。
彼はこの日のために来てくれた普段会えない友達としゃべってばかりでしたが、私が踊りの輪に入っているのを見かけると自分も輪に入って、そしてまた出ていくのを繰り返してました。パーティの途中には遠方から駆けつけてくれた方々や、明日は仕事だからと帰っていく人も多かったです。
私は土曜日に式があったら、このパーティ本当にいつ終わるんだろうか思いました。そして私達のパーティは約7時間位で終わったと思います。なぜ思うなのかといいますと、その後も残った数人のツワモノ達は更に飲み続けていたと聞いたからです。
式開始から終わりまでホントに長い一日でした。


聖灰月曜日から始まるパスハ(復活祭)までの《ものいみ》

皆様、フロニャ ポラ! カリ サラコスティ!
ギリシャは2月15日から4月3日の復活祭前日まで本格的に<ものいみ>が始まりました。私はここギリシャに来て約5ヶ月になりますが、ギリシャ語に加え、ギリシャの習慣・行事は学んでいる真っ最中なので、正しく伝えきれない部分もあるかもしれませんがどうぞお許しください。
この聖灰月曜日についてインターネットで調べていたら、ギリシャ政府観光局のHPに説明文がありましたので、勝手ながらアドレスを貼らせていただきました。ギリシャ政府観光局の聖灰月曜日の説明: http://www.visitgreece.jp/event/winter-e.html

この聖灰月曜日は移動祝日で、毎年日にちが違います。
夫の家族から聖灰月曜日の前の1週間はお肉が食べられない期間と聞かされていましたが、この日からはお肉に加え、乳製品、卵も食べられなくなると聞き、加えてこの日だけ油を食せない日でした。
日本で暮していたときにお世話になっていた正教会の司祭は、日本食はものいみにとても適していると聞かされていましたが、ここギリシャの食事で油が使えないとなると、食事にタップリのオリーブオイル、レストランやタベルナに行けばメインディッシュにはフライドポテトが定番みたいな食事が多いのに一体ギリシャ人はこのものいみに耐えられるのか不思議に思ってしまいます。
前日の2月14日に、この日食べれない物についてうちの家族が話しているのを聞いていたので、朝起きてから何も食べないで待っていると、彼のおばあちゃんがパン屋さんでラガーナ<写真参照>という丸くて平ぺったいパンを買ってきました。

このラガーナというパンはこの日しか焼かず、彼のお母さんからパン屋さんではこの日はこのパンしか作らないと聞きました。
そして普段なら朝食はバターを塗って食べるパンも、この日は蜂蜜のみ。コーヒーはもちろんミルクなし、ゆで卵もありません。
この日、村でもカーニバルがあるとのことで見物に行く話をしていました。カーニバルの前に村の近くにある大きな湖でファソラーダ(お豆のスープ)を無料配布するとのことだったので家族で出かけ、ファソラーダ・ラガーナ・オリーブ・ピッペーリ・そしてハルバというお菓子をその場で頂きました。<写真参照>

ハルバは通年通しであるお菓子ですが、特にこの日はハルバを!と聞かされてました。
テレビのCM、スーパーマーケットのチラシでもよくハルバの宣伝を見かけた気がします。なぜハルバなのかは原料がものいみに適しているからじゃないかと思います。
ちなみにギリシャのお菓子はシロップをたっぷり浸したものや焼き菓子、ケーキ等いろいろありますが基本とても甘いです。うちの家族はギリシャのお菓子をパクパク食べますが、私にはかなり甘い!と思うものが殆どで、大抵半分、もしくは1かけらと言って後々の体重増加が恐ろしいのでたくさん食べません。
夫のおばあちゃんは以前、日本のカステラを食べたときにカステラが甘すぎて血糖値が気になるからたくさんは食べれないと言っていました。私からするとカステラよりもギリシャのお菓子のほうがはるかに甘いのにな、と思いますが、お互いに食べ慣れた物が違うのでしかたないですね。

この日は凧揚げをする習慣だそうで、湖の近くで凧揚げをする家族も多く見かけました。<左の写真参照>
そしてお待ちかねのカーニバル!!と思っていたら、前日に隣村であったので、私達の村ではやらなかったそうです。
しかし人によってはカーニバルがあると言うし、別の人に聞くとカーニバルは無いと言われ、そうかと思えば村で仮装した子供を見かけるしで、結局あったのかどうかも分からないまま、たぶん無かったと思って諦めました。

この日は朝からテレビの情報番組でも、日本の元旦のような賑わい様でした。そしてカーニバルは他の地域のテレビ中継を見て気分を満喫しました。
来年は見に行きたいなと思います。




私の洗礼 in ギリシャ  
2010.1.19

 私はギリシャで、日本ではギリシャ正教と呼ばれている正教会の洗礼を受けました。
洗礼までの道のりは色々あり、日本で洗礼を受ける事も考えましたが、結局はここギリシャの今住んでいる村で洗礼を受けました。
村の司祭はとても厳格な方で、妥協は無し!といった方です。私の洗礼のことも最初は日本で洗礼を受けたほうが良いという考えでしたが、ひょんな事から私の洗礼をしてくださることになりました。ここからはいかにもギリシャといった感じで、司祭と日取りの打ち合わせをしてその「1週間後」に決まりました。
 この短期間でも日取りが決まればなんとかなるのがいかにもギリシャっぽいです。

 そして最初に司祭が行ったのが洗礼盤の取り寄せでした。ギリシャでは幼児洗礼が一般的、国民の90数パーセントが正教徒で、生まれたときから正教徒といった感じなのでしょうか。
幼児洗礼は生後約1年後位と聞いた事がありますが、個人差があるとも聞いています。幼児用洗礼盤に154cmの私が入るとはとても思えず、司祭は最初に洗礼盤の取り寄せをしていました。

 洗礼に必要な洗礼夫の件も、司祭がすばらしい方を紹介してくださいました。その翌日、洗礼式に必要なものを揃える為にご夫婦と一緒に村から一番近い発展した(やっぱり)村に出かけました。必要なものは洗礼着、洗礼盤に入った後に着るガウン、十字架のネックレス、そして洗礼を受けたあと、新たに正教徒になったあとに着る洋服・肌着・靴等でした。その他にも洗礼式に必要なものはすべてこの洗礼夫が購入してくださると聞いて、私もとても恐縮してしまい洋服でもネックレスでもなるべく質素でお金のかからないもの・・・・、と選ぶ際はそればかり気になってしまいました。
 今回の洗礼式がギリシャ人ではない人の洗礼式ということで村人は興味津々だった様ですが、こういった興味本位を厳格な司祭は快く思わず、私の洗礼に関しては割りと内々に、そして短期間で着々と進めてられていました。
洗礼式当日は聖体礼儀(ミサ)があり7時半には教会へ行き、そして聖体礼儀の後、9時半から私の洗礼式です。洗礼式前、私は洗礼盤に入るため水着着用の上、洗礼儀を着用です。式のため<ノーメーク>です。本当はコンタクトレンズも不可と言われましたが、これだけは大目に見てもらいました。
 洗礼の際に本来なら私が洗礼を受けるに当たって読み上げなくてはいけない紋々があるのですが、私がギリシャ語をしゃべれないため、すべて洗礼母が代わりに読み上げてくれました。
 周りには普段から教会に通っている方々と、子供たち(学校が夏休みだったので余計にたくさん)が大勢。式の最中、彼は私の通訳とビデオ撮影で私の周りをうろうろして、緊張気味の私もときどき噴出しそうになるくらいでした。 
 そして洗礼盤にいよいよ入る時、チラッと周りを見てみると・・・・、涙する女性や、ウキウキしながら私が洗礼盤に入る瞬間を待っている子供達!!
 私が入った洗礼盤を失礼ながら私は”金色のドラム缶”(写真<洗礼盤_1>参照)と呼んでいるのですが、このドラム缶の中で私は頭のてっぺんまで3回浸水しなければなりませんでした。
 その瞬間の写真もありますが、私の髪が黒く長い事もあって、もうホラー映画のワンシーンのようです。


洗礼盤浸水の後は、司祭が頬、おでこ、両手、両足、首裏に十字をオリーブオイルで書きます。
そして私の髪を少し切って、洗礼盤に入れ、洗礼盤の廻りを3回廻り、教本を読み上げます。
それから十字架を授けられ、教本の読み上げ、最後に司祭が挨拶してくれて洗礼式は終わります。
 子供達にはこれからが一番のお楽しみタイムの洗礼式後のボンボニエラ(アーモンドの砂糖コーティング、ドラシェとも呼ばれています)配布です。
今回、洗礼夫はカップに入ったケーキ(アイス?)を用意してくれていました。子供達はもう大喜び !!受け取った直後に教会内で食べ始める子や、教会の外で親と一緒に食べている子もいます。私は洗礼式後に新しい洋服に着替えるため外に出ていたので、当然ながらそのケーキを食べる事はできませんでした。
 その後、真新しい服に着替えて司祭や教会関係者、家族、洗礼夫達と一緒に食事です。この日が水曜日であったため、ギリシャ正教では肉・魚(血の出るものは不可)がでした。そのため全員の食事はすべてイカフライで、タベルナのオーナーは大量のイカフライを揚げるのに必死で、食事を配膳できず、彼のお父さんが食事を配膳していました。
 これで終わり!と思ったのもつかの間、私はこの洗礼式から3日間、お風呂に入る事が出来ません。厳格にいうと顔も洗えないとのことだったのですが、私は洗礼式後に出かける際にあぶら取紙で皮脂と洗礼盤のオリーブオイルをふき取ってしまい、その上に化粧をしてしまい、その後彼に怒られました。
 食事はこの3日間食べていいもの、食べていけないものが決められて、私の食生活はこの期間、基本茹でたジャガイモとトマトに塩、といった生活でした。
 洗礼式から3日目の夕方、私はお風呂ではなく、まず最初に”たらい”のような入れ物に水着を着て入り、ぬるま湯 を彼にかけてもらいます。ちなみに洗礼式で来た水着も聖水を含んでいるので洗濯せず、この3日目の”聖水落とし”までそのままでした。というのも洗礼盤で浴びた聖水を落とすので、この聖水を浴びた体にかけたお水は排水溝に流す事は厳禁で、草木に与える様にとのことでした。
 彼と彼のおばあちゃんが聖水を落とした水を何所に撒くかでもめている間、私はこの真夏のギリシャで、3日間風呂に入れなかった分、思う存分シャワー浴びさせてもらいました。
 ホントにさっぱりした~って、CMはこういうときに作って欲しいと思いました。 




はじめに

皆様、はじめまして。
私は以前、ギリシャプラザでギリシャ語のレッスンを受けていました。
今回、ギリシャプラザからこちらのサイトに私のギリシャでの体験記を寄稿してみませんか、とお誘いを受け、こうして体験記を書かせていただく事になりました。

私は現在、ギリシャ北部のSerres県に在住しています。
一番近い空港はギリシャ第二の都市:テサロニキです。
近いといっても車で1時間半の道のりで、都会のテサロニキから車を走らせると、景色がだんだん山ばかりになり、到着するころには道には人だけではなく鶏や馬、ヤギ、牛もかっ歩しています。
東京都内で育った私にとっては、ここギリシャの村に来た当初は毎日が驚きと新鮮に満ちていました。
しかしだんだん慣れてくると、それに馴染んできてしまうことに少し心配が出てきました。

人口1,000人の村の、の~んびりした生活に慣れてしまって、もう都会の生活に戻れないのでは??という不安です。 というのも私は今後、今いる村からテサロニキやアテネではありませんが、別の都市に引っ越す予定があるからです。


そして私が今、ギリシャに暮らしているのは結婚相手がギリシャ人だからです。
しかし付き合い始めた当時、彼はドイツで家族といっしょに住んでいて、初めて彼に会った時、私は彼が<濃い顔をしたドイツ人>だと思いました。 この誤解はその日一日じゅう続きました。
付き合い始める前、私にギリシャの話を一生懸命してくれたのですが、そのとき私はギリシャがどこに位置しているのかも、アテネ五輪があったことも知りませんでした。 
もちろんギリシャ語も、ギリシャプラザには失礼ですが、習いたい外来語の中にあるわけもなく、現在はギリシャ語の習得に励んでいるというか、毎日実践です。
それでも私は本当にツイているなと思います。というのも、私はドイツ語が苦手だったからです。ドイツ語のレッスンにも通ったり、独学したり、当時ドイツに住んでいた彼のところに数回通い、現地に数週間滞在もしていたのですが、それでもドイツ語だけは頭に入りませんでした。
しかし転機が訪れ、ドイツで職も生活の基盤もある彼が今年の6月に祖国であるギリシャに完全帰国しました。
ギリシャに住んでくれるならもうドイツ語を習わなくてすむ!と真っ先に思ったのは事実で、そして彼がギリシャに帰国してくれて一番喜んでいるのは私と、ギリシャに一人で暮らしていた彼のおばあちゃん(ヤヤ)だったのではないかと思います。

彼はこのあと兵役につくことになるのですが(※ 寄稿現時点で兵役は終わりました。)、私も彼のギリシャ帰国をまち、今後のことを彼といっしょに決めた上で、この秋にギリシャに移住し、現在に至っています。

これからも私の洗礼や、結婚式等、こちらでの体験記を寄稿させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ノリコ・X・マクリドゥ




このページのトップヘ

※画像提供協力:ギリシャ政府観光局 EU認定通訳 / ギリシャ大使館オフィシャルトランスレータ
ギリシャプラザ
〒108-0071 東京都港区六本木6-8-28 5階
Tel 03-6459-2220 Fax 03-6459-2220
http://www.e-girisha.com
e-mail info@e-girisha.com
Copyright(C)2008 Girishaplaza All Rights Reserved.